SFと物語
Twitter 恒例のSF議論、2015年10月25日のこと。
日曜午後に神田古本まつりのイベントで「中高生にすすめたいSF」をテーマにビブリオバトルが行われた。観客の投票による優勝がガンダムのコンセプトアート集 「MEAD GUNDAM」だったことからミステリー作家が苦言を呈する。
これに呼応するかたちで議論が起こる。当初は「物語(を好くこと)を免罪符にしている」「SFに物語はいらない」「世界観とギミック」「設定だけで想像力を喚起し楽しめる、むしろ設定を理解するのに物語は邪魔」と猛反発が。
「物語を必要としない」作品の例としてあげられていたのはシュテュンプケ『鼻行類』やディクソン『アフターマン』『フューチャー・イズ・ワイルド』あたり。
鼻行類―新しく発見された哺乳類の構造と生活 (平凡社ライブラリー)
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その後あがったものは、H・P・ラブクラフトの『狂気の山脈にて』『時間からの影』、オラフ・ステーブルドン『スターメイカー』、ホルヘ・ルイス・ボルヘス『トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス』、ル=グィン『オールウェイズ・カミングホーム』変わったものではポール・クルーグマンの論文「恒星系間貿易の理論」、そしてなんといってもスタニスワフ・レム『完全なる真空』と『虚数』が。
その後はお定まりのSF批判に対する反発とSFの定義の幅についての議論が延々と続く。
さて
「SFは物語を必要としない」(要らないとは言っていない)が多数だったことには正直驚いた。
レムのような文学的実験を除くと、ここであがったものはいわゆる50年代のSFに代表される(登場人物の個性が希薄な)いわゆるアイデアストーリー、あるいは語り手一人語りで展開する物語という共通点があるように思われる。自分自身はここでいうところの物語—主観人物の一人語りではなく登場人物たちの相互作用の物語と言い換えても良い—があればSF的な設定や世界観が多少手垢にまみれたものでも楽しめる。その意味ではこの議論で主流となっているようなSFファンではないのかもしれない。
総じて「SFに物語は不要か」「SFに物語が無い設定のみの作品が成立するか」というのは、空想的な議論のための議論に思える。
SFは多かれ少なかれ未知を扱う文芸である。それらにおいては物語がテーマ性を重視するかドラマとしてのカタルシスを重視するかを論じる方が現実的ではないだろうか。