冷蔵庫にはいつもプリンを

小説の感想や本に関する話題。SF、ファンタジー成分多め、たまにミステリ、コミック

【感想】ケン・リュウ『紙の動物園』

ケン・リュウ(劉宇昆)は米国在住の中国系作家。10歳で家族とともにアメリカに移住するまでは中国本土で育ったという。今アメリカで最も注目されているSF作家で精力的に作品を発表するだけでなく中華圏SFの翻訳紹介も行っている。
本書は著者の本邦初の単行本であり、日本オリジナルの短編集。
紙の動物園 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

紙の動物園 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

 

収録作品の多くにSF的思弁と叙情性が共存しているが、同時にある種の無力感——異なる文化に属するものの間には決して理解しあうことはない——も見出すことができる。

 
作品の叙情性という点でテッド・チャンの諸作品と共通点は多いが、チャンの作品が——代表作『あなたの人生の物語』のタイトルからも明らかなように——個人としての人生からSF的思弁を展開しているのに対し、本収録作の多くは異なる文化や文明基盤に立つ集団どうしの相互理解の難しさというテーマを登場人物にダイレクトにつきつける。読者は歴史や社会の大きな流れに向かい合った時の個人の無力さをより切実に感じることができるだろう。
 
以下、感想を収録順に。 
*のないものは初出作品
 
紙の動物園
後の作品もそうだが異なる文化に根ざす他者に対する理解の困難さを、最も近しい関係であるはずの母子間の隔たりに重ねている。母親がわが子をいくら理解しようとしても彼はその異質性を嫌い理解を拒んだ。遺された手紙によって気づかされる母の愛はどこまでも悲しいしそれが読者の琴線に触れるのだろう。ヒューゴー賞ネビュラ賞世界幻想文学大賞の各短編部門星雲賞海外短編部門を受賞。
(原題:"The Paper Menagerie” 2011)*
 
「個々の石はヒーローではないけれど、ひとつにつどった石はヒーローにふさわしい」
小惑星の衝突による大災害を逃れたわずかな人類、その中に「最後の日本人」がいた。自己犠牲は諦念からのものではなく未来への希望であり、大翔(ひろと)の行動は最後に日本人的美徳を超えたのだと信じたい。レイ・ブラッドベリの短編『万華鏡』(『刺青の男』所収)を彷彿とさせる。日本を題材とするSFアンソロジーが初出。
(原題:”Mono no Aware” 2012)*
 
月へ
「この世界にはおぞましい物語がたくさんあるが、法律は一部の話だけ耳を貸す価値があると見なしている」
法律事務所に勤務する弁護士サリーは公益弁護活動として張文朝の難民申請を助けるが……。彼ら「弱い立場」であるはずの難民のしたたかさは読者を裏切る。サリーが救おうとしたのは文朝ではなく彼女自身だったのかもしれない。最後まで双方の隔たりは埋まらない。
(原題:”To the Moon” 2012)
 
結縄(けつじょう)
異星を舞台としない文化人類学SF。伝統を根ざした暮らしをする村民が利にさとい企業人によって騙され搾取される物語と見ることも可能だが、創薬によって世界のより多くの人が助かることを考えると問題はそう簡単ではないだろう。
(原題:”Tying Knots” 2011)
 
太平洋横断海底トンネル小史
タイトルはハリイ・ハリスンの歴史改変SF『大西洋横断トンネル、万歳』の本歌取りだがあの楽天さとはまったくの別物。この世界は戦争の惨禍を回避したが、われわれの歴史と同等に深い闇がある。台湾人チャーリーを通して語られる知られざる歴史は、米西海岸の鉄道敷設の苦力や戦前日本のアジア人炭鉱労働者もかくやといったもの。
(原題:”A Brief History of the Trans-Pacific Tunnel” 2013)
 
潮汐
幻想性の高い寓話、絵物語で見たい作品。
(原題:”The Tides” 2012)
 
選抜宇宙種族の本づくり習性
ユーモラスでメタフィクション的な作品。通常の意味での「本」のことはまったく語っていない。言い換えると「文明に関する諸々は煎じ詰めれば本である」と言っているような。本とは何か?
(原題:”The Bookmaking Habits of Select Species” 2012)
 
心智五行
「自分の心だけど自分そのものではないことに。わたしが何者なのか自信がない。だけど、わたしは戻ってくることを選んだ。なぜならこのわたしの方が好きだから」
異星のプロバイオティクス。異なる文化は違いを越え理解に到達する。ハッピーエンドで戸惑ったが、ひねくれた見方をすれば異星生物による侵略SFのバリエーションとも読める。
(原題:”The Five Elements of the Heart Mind” 2012)
 
どこかまったく別な場所でトナカイの大群が
人類の多くがサイバースペースに〈移住〉した遠い未来を描くストレートなSF。われわれにとって当たり前の世界がレネイには新鮮な体験となるのはSFらしい。仮想空間で暮らす人類の三次元空間にとらわれないライフスタイルもユニーク。
(原題:”Altogether Elsewhere, Vast Herds of Reindeer” 2011)*
 
円弧(アーク)
世界じゅうで、人生は永遠に続いていたが、人々はより幸せになったわけではなかった——人々はいっしょに成長しようとしなくなった。結婚している夫婦はおたがいの誓いを変えた。もはやふたりをわかつのは死ではなく、退屈だった。

医療処置によって実現された不老不死を通じて一人の女性の「死と生」を語る。人類や社会という大きな総体ではなく、語り手の人生の物語として描くバランスのとれた作品。

(原題:”Arc” 2012)
 
宇宙になにか新しいものを。家族にだれか新しいものを。
400年をかけおとめ座61番星に向かう恒星間移民船〈海の泡〉号。地球からの通信の内容はナノテクノロジーによって不死を実現する技術だった。「円弧」と同じくポストヒューマンテーマであるがSF的おもしろさの分テーマ性は薄い。挿入される数々の創世神話は結末につながる。
(原題:”The Waves” 2012)
 
1ビットのエラー
天使の降臨と救済に失った女性を追い求める男。神秘体験を外部からの影響によるビット誤りがもたらすニューロン発火に帰する視点はおもしろい。宇宙からの神秘体験を扱う点ではディック『ヴァリス』を彷彿とさせるが、あくまでドライな描写スタイルは着想の源のひとつとなったチャン『地獄とは神の不在なり』に通じる。
(原題:”Single-Bit Error” 2009)
 
人体は再生の驚異だ。一方、人間の精神は、ジョークだ。信じてほしい、わたしは知っている。
エレナは「知性は幻想だ」という考えに囚われるが、読者は彼女の言っていることを一笑に付すことはできない。ニューラルネットワークと意味論データベースによって実現された「もうひとつの知性」とわれわれの知性を分けるものは何か。「中国語の部屋」あるいは名ばかりの知性はわれわれのそれと同じもので無いと果たして言い切れるのか。科学技術が人間に突きつける哲学的命題をややメロドラマ風に仕上げた作品。
(原題:”The Algorithms for Love” 2004)
 
文字占い師
冷戦下の台湾の村落が舞台。テキサスからやってきたリリーは学校にも土地にも馴染めずにいたが、自らを測字先生(リテロマンサー)と称する不思議な老人とその孫と出会う。年齢を超えた「忘年之交」はしかし悲劇的な結末を招き、同時に少女の子ども時代も終焉を迎える。作中で甘老人が説明する文字に関する物語は漢字に親しんだわれわれにも新鮮だ。
(原題:”The Literomancer” 2010)
 
良い狩りを
「あたしたちにできることがたったひとつある、生き延びるために学ぶのよ」
十三歳の少年梁(リアン)は「退治師」の父とともに妖狐を追うが、その娘艶(ヤン)を見逃してしまう……。武侠小説を思わせるファンタジックな物語が鋼と蒸気の〈もうひとつの未来〉へと変貌するさまに目眩を覚える。映像的驚きに満ちた素晴らしい作品。
(原題:”Good Hunting” 2012)*
 
どれも忘れ難い印象を残る名品ばかりだが、ベスト3を選ぶとすれば、文化的対立と相互理解の虚しさをストレートに表現した「結縄」、不老不死が実現した社会で人生の意味を問う古典的テーマを叙情的に描く「円弧」、表意文字で彩られるファンタジックな世界が世界情勢を巡る過酷な現実に暗転し子ども時代の終わりを示唆する「文字占い師」となる。