冷蔵庫にはいつもプリンを

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【感想】ジーン・ウルフ『ジーン・ウルフの記念日の本』

ジーンウルフの〈未来の文学〉としては3作目、昨年の『ピース』を加えると4作目と、ウルフは国書刊行会のSFタイトルにおいてスタニスワフ・レムと並ぶ看板作家となりつつある。30年近くの時を経て翻訳出版され固定読者を獲得しているのは興味深い。 

タイトルのとおりアメリカの記念日になぞらえた18の物語を収める。とはいうもののお題にこじつけた話も多く、そのおおらかさはレイ・ブラッドベリの短編集『刺青の男』を連想する。

 

さて、本作はあのジーン・ウルフだから国書刊行会だからと肩肘を張って読む必要はまったくない。キャラクターもはっきり言って平板かつ没個性、深みがあるような気がしたらそれはストーリーの織りなす独特の世界に知らず知らず引きこまれているからだ、まさにウルフマジック
私は肩肘張って…張りまくって読んでしまったので手遅れだが、これから読もうとする人はこの人を食ったようなバカ話をできれば一気に読まず一編ずつ楽しむことをお勧めします。以下ネタバレ。
 
鞭はいかにして復活したかリンカーン誕生日〉
新しい奴隷制度。当時全米の受刑者は25万人だったそうな。21世紀の今や200万人超という現実。既存宗教が廃れている社会というのはいま読むと滑稽。
 
継電器と薔薇〈バレンタイン・デー〉
コンピュータ検索による配偶者マッチングは今や普通なのが隔世の感。結婚と社会の生産性低下の関係はいかに。嫁さんもらうと仕事放り出してバカンスに出かけるとかやや時代を感じる。「バレンタインデー」と聞いて一瞬血なまぐさいものを予想したが普通のワンアイデアSFだった。タイトルの継電器(リレー)はさすがに古くさい表現だが今ならさしずめマイクロプロセッサと言ったところか。
 
ポールの樹上の家〈植樹の日〉
子どもの反抗、増大する社会不安。こういう日常から切り出したような描写に不穏なものを仕込むのが巧い。ツリーハウスは子どもらしさの象徴だが、もしかすると「高い城」の暗喩でもあるかもしれない
 
聖ブランドン聖パトリックの日
短い寓話、件の聖人が最初に北米大陸に到達したという伝説を知らなければなんということのない話。
 
ビューティランド地球の日
いわば「黒いナショナルトラスト」である。どこから出てくるのかというアイデアに戦慄し、さらにそれを上回るひどい結末に笑うべきかそれとも人間不信に陥るべきか。レイチェル・カーソン沈黙の春』に代表される当時の環境意識の高まりないしはローマ・クラブ報告書など将来への暗い見通しが背景にあるかもしれない。
 
カー・シニスター〈母の日〉
自動車の自己繁殖。キング『クリスティーン』を連想しなくもないが、生まれた雑種自動車のディテール描写にざわざわする。こうした表現は今ならポリティカルコレクトネスに抵触するかもしれない。
 
ブルー・マウス〈軍隊記念日〉
これも解説でタイトルの意味を知る。戦闘適性検査による人員配置、戦わない兵士たち。国連軍を包囲する民兵という状況は現代の非対称戦を彷彿とさせなくもない。朝鮮戦争に従軍したウルフが当時の反戦の空気に苛立って書いたと深読みした。
 
私はいかにして第二次世界大戦に破れ、それがドイツの侵攻を防ぐのに役立ったか〈戦没将兵追悼記念日〉
歴史改変ものだがこういうユーモラスな作風。盤上の第二次世界大戦、1938年の万国博覧会トランジスターの十年早い発明、〈新聞記者〉チャーチル、〈国民車のセールスマン〉ヒトラー、語り手の名前ドワイトは正史で大統領になったアイゼンハワーのこと。「おもちゃ(Toy)の自動車」って それToyo…。ゲーム盤上にできた煙草の焦げの意味を知り寒気がする。ライトノベルもびっくりの長いタイトルは、キューブリックの終末映画『博士の奇妙な愛情』副題からの拝借だろう。
 
養父〈父の日〉
捏造された記憶と警察国家、中年男の偽りの日常生活の悲哀がいまひとつ切実さに欠ける、こういうのはP・K・ディックの方がはるかに巧い。ジーン・ウルフは家庭人としては幸福だったのかもしれない。
 
フォーレセン〈労働者の日〉
カフカ的不条理@会社、ビジネスのもつ空虚さをパロディ化した描写は(まったく雰囲気は異なるものの)酉島伝法『皆勤の徒』を連想。いずれにせよ長い、ウルフ先生悪ノリしすぎである
 
狩猟に関する記事〈狩猟解禁日〉
熊猟、なぜ沈静剤を撃ってから殺すのか。シンプルで整った文体の作者が悪文にチャレンジしていることに気づきクスッとする。解説の「撃ったのは熊じゃないかも」説は深読み過ぎだと思う。
 
取り替え子〈ホームカミング・デイ〉
まっとうなホラー。途中までじわじわと恐怖感が高まるが、これも唐突に終わる。話を続けるのが面倒になったのか、宗教的な暗喩ともとれる結末。
 
住処多しハロウィーン
フォークロアSFであり、いわば「ウルフの動く城」。フィールドワーク風なインタビューという形式がおもしろい。
 
ラファイエット飛行中隊(エスカドリーユ)よ、きょうは休戦だ〈休戦記念日〉
レプリカ三葉飛行機を飛ばし気球と出会う、それだけである。空を飛んで女性と出会うというのは性的な含意があるような、ないような。作者が第一次大戦中のドイツ飛行機を好きなだけかもしれない。あと中二力が全開なタイトル
 
300万平方マイル〈感謝祭〉
そこで、彼は、またハイウェイの路肩へと思った。いまだに不安は癒えなかった

 家人と交わす何気ない雑談が幻想への入り口となる。最後の一文が本短編集の本質をよくあらわしていると思う。

 
ツリー会戦〈クリスマス・イヴ〉
去年のおもちゃVS今年のおもちゃ。黒い「トイストーリー」でもある。エドワード・ゴーリーが存命なら絵本にしてもらいたかった。
 
ラ・ベファーナ〈クリスマス〉
異星植民地を舞台とするSFらしいSFだが同時に家庭ドラマでもある。キリスト教の寓話は神を捨てた世界の前には虚しい。短いが良い作品。
 
溶ける〈大晦日〉
そして、彼は消えた。私はもう彼に飽きたのだ(あなたたちみんなにも飽きてきた)。
大晦日のパーティ、いろいろな人がいろいろな時代からというのは斬新。そして最後だからできる夢オチ! 勝ち逃げされた気分。
 
同時代だからもしれないが、ロッドサーリングの伝説的テレビシリーズ「トワイライトゾーン」を連想する。あの撮影セットまるわかりのチープな演出、尺の関係で思わせぶりでやや唐突な結末と同じ物がこの作品にもある。日本だとタモさんが出てこない「世にも不思議な物語」といったところか。
 
読み終えた感想として、奇想天外な世界と重苦しさという意味では50年代のディックに軍配があがる。意外な発見は、家族の会話の生々しいリアリティ。個人的には「ラ・ベファーナ」と「ビューティーランド」を推す、短い作品ほど記憶に残る。
 
どこにでもいそうな人物を明快でシンプルな文体で描き、そこに非現実性を織り交ぜることでどこに連れて行かれるかわからない幻想的な世界をつくる、技巧派の面目躍如といったところか。